名前  岡田彫金工房
代表者 岡田義昭
住所  〒 670-0094
^   兵庫県姫路市新在家中の町17-22
設立  1990年
営業  実店舗 10:00~18:00
^   日曜/水曜 定休
電話  079-294-2313
FAX  079-294-2313
Web  https://jewelry-okada.com
^   開設:2000/01/08
N-Shop  https://jewelry-okada.net
Mail  j-okd@jewelry-okada.com
兵庫県公安委員会 第631601000073号
扱い品 ジュエリー加工 デザイン・制作・修理
^   ジュエリー販売 プラチナ・ゴールド etc.
^   ジュエリー買取 貴金属宝石全般
^   ジュエリー鑑定鑑別

略歴

S53  姫路市美術展出品
S55  ゴールドジュエリー制作開始
S64 第39回加古川市美術展 教育委員会賞
(以降各市美術展出品受賞)
H2  岡田彫金工房設立
H5 純チタンマリッジリング創作
H6 兵庫県工芸美術展入選
H8 姫路美術協会入会(以降毎年出品)
H9 Art Exhibition in Phoenix(アリゾナ州)出品
H10 第1回光造形(3D)デザインコンテスト入選
H14 純金インゴット灰皿鍛造制作
H15 純金ランプシェード鍛造制作
H17  純金インゴット1Kgカレー皿鍛造制作
H18 「彫金ジュエリーの会」設立
H21 「十の会」設立会員
H22  第1回十の会展出品(以降毎年出品)
H23 ハンドメイド純チタンマリッジリング
新デザイン500種類オリジナル鍛金制作
鍛造作品「三一一」制作
H29 「 Titanium と Diamond の宴 」

制作三昧の日々でした

14歳の時に、自分の手で何かを作ることができるようになりたい、と思って以来…。

半世紀が経過していました。

こんなことをしていては手に技術がつかないと焦っていた16歳。
勝手にレタリングをしたり、鉛筆デッサンしてみたり、水彩画を描いたり、木を削ってみたり、油絵を描いてみたり、木炭で裸婦クロッキーしてみたり、石膏をこねてみたり、写真を撮ったり現像してみたり、・・・

自分は遠回りをしていることに気づきながら、それでもさまざまなことをしたかった二十歳前後。

ようやく地に足がついた25歳。
自分の気持ちを落ち着かせたのは、ジュエリー制作、でした。

神戸の貴金属ジュエリー制作工房でプラチナ指輪をサイズ直しする方法を1週間ほど教わり、あとは自分一人で日々手探りしながら試行錯誤の繰り返し。独学。
金やプラチナを熔かしたり叩いたりすることが楽しくて、周りに技術者がいないので誰も何も教えてはくれないけれど、来る日も来る日もヤスリや金鎚や糸ノコを握りしめ、気が付くと3年くらいで教わることが無いくらいかなりの技術が身についていました。

制作方法や工具のことを知らなくても、どのようなデザインのジュエリーを要求されても作ることが出来てしまうので、天才と言われた30歳頃。デザインも地金加工も宝石石留めも金属と石の研磨も地金熔解も鋳造もして、あの頃は周りのことが眼中になく自分の殻の中に入り込んで、新しいジュエリーを完成させるため制作手順と立体イメージを頭の中に繰り拡げひたすら意識の中で作ったり壊したりのシミュレーションを繰り返す毎日。

勤めをしていた頃はデザインと原型制作と大量生産品用の鋳造とに力を入れていて、工場長としてはズレた方向に仕事をしていたかも。梶光夫氏を姫路のホテルにお招きしてジュエリー展覧会を開くことがあったり、クリスマスの時期にフランスから帰国される高田賢三氏を工場にお迎えする約束をして見学をして頂きジュエリーの制作をすることになったり。

その後、オーダージュエリー創作を専門としてスタートした自分の工房は、受ける注文のほとんどすべてが過去に制作経験の無い新しいものばかり。試作なしのぶっつけ本番で要求されるレベル高い品を完成させなければならないけれど、不安は全くなかった。難しい仕事も今までほとんどお断りしたことはなくこなしてきた。

印象深いのは、純金インゴットでさまざまなアイテムの制作を頼まれたこと。自分の希望するものが作れる人を日本中探したら、新潟に一人兵庫県に一人居ることが分かった、と話され、近くのあなたに頼みに来た、と。お客様が秘書の方と工房に来られ、初対面で信用してくださったようでインゴットを何キロも預けてくださり、こんなものを作ってくれ。ゆっくり時間をかけて作ることはできなかったけれど、楽しかった。1キロ数百万円のインゴットを金鎚で何万回も叩き厚さ数ミリの板にして、ブルネイの方に振る舞うカレーのお皿を創ったり。音と振動が凄くてお隣や近所の方にご迷惑をお掛けしたはずなのに、ノークレームでしたのでそのことも感謝してもしきれません。

純金の四角い器もなかなか面白かった。預かった2キログラムのインゴットを1ミリの半分にも満たない薄い純金の板に準備して、色が違ってくると嫌なので純度の低い金ロウは使わずに、純金だけで5面の角のある器を作った。方法はほとんど記憶にないけれど、もう一度注文されることがあっても手が覚えているから大丈夫。もっときれいに仕上げます。

作り方も工具も不明のままで一人でよく仕事をこなしてきたものだと思いますが、それが不思議なことに初めての品を制作する依頼を受けた時に、自分にそれを作ることが可能か不可能かがその場で分かりました。出来る、と頭の中のどこかがささやけば、未経験の仕事もこなすことができました。

未知の方法や工具や技術は、自然に目の前に現れ、どこか上から降りてきて頭に浮かび、手や指が勝手に動きます。

1990年頃から手加工で創り始めた純チタンマリッジリング。ある会社の社長からこれで指輪を創るといいよと渡された金属がチタニウムでした。

初めの10年は神戸や明石や姫路の方から注文を頂いて兵庫県の播磨地方でのみ知られていた金鎚で叩き締めながら作るチタン指輪。

2000年にWebサイトを立ち上げ紹介を始めると、作り方の問い合せを頂いたり見学に来る方が居たり、たちまち人気が出て数年後には日本にも外国にも機械加工でリングを作るメーカーが現れて、あっという間に世界に認知されるようになりました。

この時期は爆発的に受注量が増え一日に15時間位働いて一年に360日位仕事をしていました。
時間の感覚がなくなって、完成したデザイン画を午前2時でも3時でも失礼なことに就寝中のお客様の自宅にファクシミリで何度も送ったり、疲れた手と頭と身体の休憩に新聞配達のバイクだけが走る真っ暗な夜を一人でドライブしたり。5年間位か10年近くかは確かめるすべもありませんが、とてもとても嬉しかったですけれど、あんなに休みなく働き続けることはもう無理かもしれません。

制作することしか意識になく、毎日のどの瞬間も次に創るジュエリーの加工シミュレーションを頭の中で繰り返しながら過ごしました。それらの間に多くの方々に色々なご迷惑をおかけしているはずで、非常に申し訳なく思っております。

姫路市周辺からの依頼品制作と近畿圏の百貨店からの依頼品の制作とインターネットで日本全国からご依頼頂くオリジナルチタンマリッジリングの制作と、…。睡眠時間3〜4時間で毎日を過ごし、今でもその習慣なのか深夜に起きだしてパソコンやスマートフォンを眺めているので、家人に早く寝なさいと注意されます。

あぁなんだかいい日々を過ごしたな。

十代の頃に夢想していたことが実現していたことに気がついて、ここまでは満足するべき人生と思います。自分の手で立体の人物も作れるようになった、金属で抽象的なアイテムも思うように作れる、非常に硬いものも磨けるようになった。自分の手に技術が溜まり続けたのは確かで、初期の想いは成就していました。

10歳の頃に近くの山から金鎚一本で掘り出した黄銅鉱や黄鉄鉱は、今でも宝物でずっと持ち続けています。長い釘を叩いて作った鉄のナイフはどこかへ行ってしまったけれど。

16歳前後の頃に同級生だけで入ろうとしたデパートの大宝飾展。招待券が無いからと門前払いをくらってとてもがっかりして帰ったことも笑える思い出です。

スマートフォンが出てきてからはパソコンで何かをする時期以上に環境が変化し、独学の困難さも一掃される状況になりました。

ネットに質問すれば誰かがなんらかの答えをくれるお手軽な時代に変わり、不明な地域も事柄も品も製造方法も画像や動画や文字で判明します。突然今までよりも100倍も1000倍も楽な時代に移行しました。

中レベルと低レベルの範囲が広がり、高レベルな世界は様々なハイテク機械が可能性を拡げます。人の手の技術に依らなくてもCADデータがあれば3DプリンターやNC工作機械が難しいところをこなしてくれます。そしてAIは人をも凌駕します。

…発展発達の先には何があるのでしょうね。

初めての Handmade

油絵

描きたくてしょうがないので 初めてキャンバスに描いた油絵人物画の小品

初めてキャンバス
に描いた
人物横顔
の小品。

描き方がよく分か
らなくて
キャンバスが
パレットに
なっていました。

(1981年頃)

K18ゴールド

サイズ直しが出来るようになったので 勝手に初めて作った18金のペンダントトップ

初めて作った
k18の
ペンダント。

ロウ付けを習った
ことが嬉して
少しの素材を
出来るだけ薄く
延ばして
個人用に勝手に
作りました。

(1980年頃)

シルバー

仕事で初めて作ったレール留めのシルバー指輪原型

初めて作った大量
生産用指輪の金属
原型。

指輪制作の経験が
ほとんどなかった
時期のレール留め
の苦心作。

(1985年頃)

デザイン画

仕事で必要になり 初めて描いた鉛筆のデザイン画

初めて描いた
デザイン画。

指輪の絵は未経験
でしたが
必要に迫
られて描くことに

(1984年頃)

打ち出しが面白そうなので 初めて試みた時の銅作品

初めて打ち出しで
作った
肉薄の
ペンダント “M”

指輪用の黒い松脂
に付けて

間に合わせの手製
タガネで
打って
みました。

(1985年頃)

K18ゴールド

初めて人物をK18でキャストしてみました

初めて人物を
ワックスで彫って
18金で鋳造した
ペンダントトップ

どの方向からでも
良い表情に見える
よう
彫ることが
楽しくてしようが
なかった。

(1985年頃)

チタン

世の中にまだ存在しないから と 初めて創作したチタンの指輪

初めて創った
チタンリング。

予定した工具や
研磨材がぴったり
はまり、
比較的
スムーズに完成に
まで
たどり着き
ました。

「チタン」の
硬さを知る人は
非常に驚き、
好感度良しの
雰囲気。

(1990年頃)

初めて段差を大きく付けた打ち出しをしてみました

初めて高低段差を
付けて作った

一枚板の打ち出し
ブローチ。

透かし部分を
タガネで切り
抜いて

ヤスリをかけて
喜んでいました。

チタン

素材が手に入ったので 初めて創り出したチタンの肉厚バングル

初めて作った
チタンの幅広
バングル。

加工方法も道具も
不明でしたが
世の中にないもの
を創ろうと
意欲に
燃えていました。

当時は「チタン」
素材を知らない
人が
ほとんどで、
驚きの顔を
されました。

(1990年頃)

鉱物展示会

1991年秋 北アメリカのアリゾナ州のツーソンに初めて行ってみました

初めて行った
アリゾナ州
ツーソンの
ミネラルショー。
わざわざ日本から
来る人は
とても
珍しい、と当時は
驚かれました。

(1991年)

by  Okada Yoshiaki