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チタンペアマリッジリング ダイヤ(SO)

受注制作 岡田彫金工房 ハンドメイド 鍛金加工 チタンリングチタンマリッジリング

インターネットで初期に受注制作したオリジナルデザインマリッジリングです

ダイヤモンドを石留しています

(2001.3.2)


 

(SO)印が付いたページは、ソネットブログの
https://titanium.blog.ss―blog.jp/
にアップロードしていた受注創作のチタンマリッジリング画像です。
当工房のWebサイトにアップロードすることの方が多くなり、彼方の更新が止まっていました。
Web 上に散らばっていたデータをまとめる機会があるときに少しずつ整理しています。

また、HomepageBuilderでWebサイトを制作していた時の画像や記事も、Wordpressに変更してからはまだ多数移行できていませんので、こちらも順次追加整理しています。

(2020.03.16 記)

マリッジリングデザイン(SO)

受注制作 デザイン 岡田彫金工房 ハンドメイド 鍛金加工 チタンリング「デザインの具体案は持っていませんが、
できるだけシンプルで輝きのある仕上げのものを希望しています。
また女性用のものには、小さな石を埋め込みたいのですが、可能でしょうか?」

・・・とのご希望で、3種類のオリジナルリングのデザイン画を描いた時の1点です。

自転車がご趣味です。

別のデザイン画を選択くださいましたので、未制作のリングデザインです。

 

2001-03-02  14:44


 

【注】
ジュエリー制作に時間を費やすことが多く、
チタンリング画像更新が遅れ気味になっていますので、
未公開のマリッジリングデザイン画の
サムネイルをUPしていきます。  (2015.3.9  追記)

日付の違いは…

同じようなデザインのリング画像のご紹介でも日付がバラバラな場合があります。

初めてご相談を頂いた日
デザインが決まった日
指輪が完成した日
発送納品ができた日
メールをいただいた日

など様々な時期にご紹介しておりますので、どうぞご了承くださいませ。

初めての Handmade

油絵

描きたくてしょうがないので 初めてキャンバスに描いた油絵人物画の小品

初めてキャンバス
に描いた
人物横顔
の小品。

描き方がよく分か
らなくて
キャンバスが
パレットに
なっていました。

(1981年頃)

K18ゴールド

サイズ直しが出来るようになったので 勝手に初めて作った18金のペンダントトップ

初めて作った
k18の
ペンダント。

ロウ付けを習った
ことが嬉して
少しの素材を
出来るだけ薄く
延ばして
個人用に勝手に
作りました。

(1980年頃)

シルバー

仕事で初めて作ったレール留めのシルバー指輪原型

初めて作った大量
生産用指輪の金属
原型。

指輪制作の経験が
ほとんどなかった
時期のレール留め
の苦心作。

(1985年頃)

デザイン画

仕事で必要になり 初めて描いた鉛筆のデザイン画

初めて描いた
デザイン画。

指輪の絵は未経験
でしたが
必要に迫
られて描くことに

(1984年頃)

打ち出しが面白そうなので 初めて試みた時の銅作品

初めて打ち出しで
作った
肉薄の
ペンダント “M”

指輪用の黒い松脂
に付けて

間に合わせの手製
タガネで
打って
みました。

(1985年頃)

K18ゴールド

初めて人物をK18でキャストしてみました

初めて人物を
ワックスで彫って
18金で鋳造した
ペンダントトップ

どの方向からでも
良い表情に見える
よう
彫ることが
楽しくてしようが
なかった。

(1985年頃)

チタン

世の中にまだ存在しないから と 初めて創作したチタンの指輪

初めて創った
チタンリング。

予定した工具や
研磨材がぴったり
はまり、
比較的
スムーズに完成に
まで
たどり着き
ました。

「チタン」の
硬さを知る人は
非常に驚き、
好感度良しの
雰囲気。

(1990年頃)

初めて段差を大きく付けた打ち出しをしてみました

初めて高低段差を
付けて作った

一枚板の打ち出し
ブローチ。

透かし部分を
タガネで切り
抜いて

ヤスリをかけて
喜んでいました。

チタン

素材が手に入ったので 初めて創り出したチタンの肉厚バングル

初めて作った
チタンの幅広
バングル。

加工方法も道具も
不明でしたが
世の中にないもの
を創ろうと
意欲に
燃えていました。

当時は「チタン」
素材を知らない
人が
ほとんどで、
驚きの顔を
されました。

(1990年頃)

鉱物展示会

1991年秋 北アメリカのアリゾナ州のツーソンに初めて行ってみました

初めて行った
アリゾナ州
ツーソンの
ミネラルショー。
わざわざ日本から
来る人は
とても
珍しい、と当時は
驚かれました。

(1991年)

by  Okada Yoshiaki